01/28/10(Thu)
ちょっとディープな銀座散策
銀座発祥の地って、どこにあるかご存知ですか。なんとティファニーがあるところなんです。このすぐ横の銀座2丁目の交差点も、カルチェ、シャネル、ルイ・ヴィトン、ブルガリに囲まれています。考えてみればなんか不思議な光景です。

そんな感じで、ブランドショップが建ち並ぶ華やかな街並みのそこかしこに、銀座の歴史を垣間見ることができるスポットや路地が今もたくさん残っています。今回はそんなちょっとディープな銀座を散策してみることにしました。



1. 銀座発祥の地碑
まずは、銀座発祥の地に建っている碑から。上にも書いたように、ティファニー銀座ビルの目の前にあります。江戸時代にこの地に銀座があったことを記念して、昭和30年(1955年)に建てられたとのこと。





碑には「銀座発祥の地 銀座役所跡」と刻まれています。江戸時代の銀座とは貨幣の鋳造所のことで、慶長6年(1601年)に伏見に創設されたのが始まり。その後は各地に置かれ、やがてこの地の銀座に統合されたそうです。この銀座役所は寛政12年(1800年)に蛎殻町に移転しましたが、銀座は地名として残ることになったそうです。


2. 4丁目交差点の裏
それでは、中央通りを4丁目方向に歩いてみましょう。今回のテーマは「ちょっとディープ」なので、4丁目の交差点でショッピング…ではなくて、その裏を探ってみます。まずはこちら。ご存知、銀座コアのすぐ隣のビルです。ここに入ってみましょう。え?別に普通じゃんって?まあまあ、そう言わずに入ってみてくださいな。





ということで、ずんずん歩きます。すると…あれ?通り抜けちゃった。しかも、振り返るとそこには、ビルではなくて、アーケイドが…!





これ、「ブラタモリ」を見た人ならご存知のネタですね(笑) なんとも不思議な道でした。とても空いているので、急いでいる時は近道としても使えそうです。


3. 三原小路・その横の路地
アーケードは、あづま通りに面しています。ここを左に曲がるとすぐ右側に、小さな路地があるのに気づきます。これが三原小路です。





うーむ、静かです。たくさんの人でごった返していた中央通りからたった1本入っただけなのに、この静けさはなんなの?って感じです。これが路地を歩く醍醐味ですね。で、入ってすぐのところに「吾妻稲荷大明神」がありました。





実は、銀座には稲荷神社がたくさんあるんですよね。ただ、ビルの隙間にあったりするので、気づきにくいだけなのです。





で、これが三原小路の反対側の入り口です。後ろに見えているビルは銀座コア。なかなか面白い景色ですね~。

さて、これで中央通りから2本入ったことになります。通りの名前は三原通り。ここを左に曲がると、すぐ隣にもう1本、細い道がありました。





わーお!三原小路よりもさらに路地裏臭プンプンです。入るのがちょっと恐いくらい。でもここ、知る人ぞ知る路地のようで、検索すると結構情報が出てきます。「中華 三原」が有名らしいです。

でもやっぱりディープだ…写真撮ってる私まで怪しい感じ(笑) とはいえ、4丁目の交差点のすぐ裏にこんな怪しい路地が残っていたなんて、ある意味驚きです。





4. シネパトス
三原通りから晴海通りに出て右に曲がると、真っ直ぐ進む歩道の奥に、もう1つ、カーブした道があります。そこへ入ると、またまた怪しい建物、シネパトスがあります。ここ、中もすっごく怪しくて面白いのですが、今回は外観だけにしておきます。





5. ガス灯通り
ここでいったん銀座2丁目の交差点に戻り、シャネルの右横を通って2本目の道を左に曲がります。すると、こんな路地が…。とか言って、これもブラタモリネタなんですが(笑) ここを入ってみます。





突き当たりを左に、そしてすぐに右に、さらに真っ直ぐ進むと…じゃーん!「白いばら」が現れました~。ここがガス灯通りです。わざわざ1本奥の通りから戻って来たわけですが、こうやって通り抜けられるのが面白いのです。





そしてこの「白いばら」。実はここ、なんと創業昭和6年(1931年)という老舗キャバレーなんですって。1936年の二・二六事件の前夜、青年将校がこの店にひそかに集まって、「あすの号外を見ろよ」と言い捨てて立ち去ったという逸話が残っているすごい場所。クーデターを起こす直前にキャバレーに集まるって、ちょっと笑える…。





白いばらの前を過ぎて3軒目にあるのがこの「煉瓦亭」。こちらも古さでは負けていません。なんと創業明治28年(1895年)!今年で115周年を迎える老舗の洋食屋さんです。ここは来たことがありますが、おいしいです。

ここでちょっと説明すると、銀座は実は、日本に2カ所しか建設されなかったきわめて貴重な煉瓦街の一つ(もう一つは丸の内)で、設計者はイギリス人、フランス積みで、明治5年から10年にかけて当時の国家予算の4%弱を費やし、延べ1万メートル余もあったと言われているそうです。(金春通り「煉瓦遺構の碑」から抜粋) この時に街路照明として用いられたのが、ガス灯なんですね。煉瓦にガス灯…なんともお洒落な街並みが目に浮かんできます。





ガス灯通りというだけあって、ガス灯をモチーフにしたお店も。





こちらは、当時のガス灯をそのまま再現したデザインだそうです。その背後には…





…アップルストア(笑) これも不思議な組み合わせですね。合っているような合っていないような…?


6. すずらん通り
ガス灯通りは、3丁目からすずらん通りと名前が変わります。ここをずっと進むと、5丁目の手前の、ちょうどニューメルサの裏に、「靴タカオカ」という靴屋さんがありました。ここ、とっても古そう~!というだけでなく…





よく見ると、靴が…2足しかない!?





なんで??と不思議に思いつつ、面白かったので写真を撮ったわけですが、後でネットで調べてみると、ここは数年前から靴が数足しかなくて心配されていて、写真を掲載している人も結構いたので笑えました。みんな考えることは同じなんだなー。

そして、6丁目~7丁目のブロックに進むと、なかなか風情があります。こんな割烹屋さんがあったり…





ここは中国?みたいなお店もあって…(台湾料理屋さんらしいけど) このポスターも怪しすぎです。





そしてこれは「そば所よし田」という老舗のお蕎麦屋さん。創業なんと明治18年(1885年)!なんかどんどん古くなっています。ここは亡くなった先代中村勘三郎が楽屋まで出前をさせたことでも有名なんだとか。





ちなみに上の台湾料理屋さんの右側を入ったのがこの路地です。





で、突き当たりを曲がると、またまた路地。





でも、こんなのはまだ序の口です。先ほどの「よし田」の道を挟んで斜め右には、こんな路地(隙間?)が!





とか言いつつ、これもブラタモリネタでございますが。入口には「豊岩稲荷神社」とありますが、この路地、すっごく細くて真っ暗で、知らなかったらとてもじゃないけど入ろうとは思わないような感じです。でも入る!

歩いてみると、思った以上に狭い!でも、突き当たりの手前左側に、ちゃんと神社がありました。しかも、こんなところで写真を撮っているカップルを発見。恐るべし、ブラタモリ効果。





ちなみにブラタモリでは、突き当たりを左に曲がり、なんとドトールの店内を通り抜け、さらに細い路地を進んで6丁目の通りに出る!という裏ワザを披露したそうですが、きょうはそこまではやらないでおきます。(でも例のカップルはそっち側から来た気がする)

ちなみにこの神社、写真では明るく見えますが、実際は真っ暗に近くてかな~り怖いです。しかもスペースがほとんどないので、撮るのも一苦労でした。


7. 金春通り
さてさて、すずらん通りは7丁目からまた名前が変わり、8丁目までは金春通りと呼ばれています。この通りがまたすっごく面白い!というか、昔の銀座が残っているという意味では、ここが一番だと思います。

「金春(こんぱる)」という名前の由来は、江戸時代に幕府直属の能役者として知行・配当米・扶持を与えられていた金春(こんぱる)・観世(かんぜ)・宝生(ほうしょう)・金剛(こんごう)の4家のうち、金春家が寛永4年(1627年)に屋敷を拝領し、それがここ銀座の8丁目6・7・8番地全体を占めていたから、とのことです。(中央区教育委員会の説明から抜粋)





この通りの名所は、なんといっても「金春湯」でしょう。金春の名を残しているばかりか、銀座に未だに銭湯が残っているという、なんともいえない感動。ちなみにこの名前の由来はもちろん金春屋から来ていて、もともとこの地に開業したのはなんと文久3年(1863年)!とのこと。すごい、遂に江戸時代にさかのぼりました!(この建物は昭和32年に改築されたものとはいえ)





ほかにも、東哉(清水焼)、伊勢屋(草履・足袋)、九献(割烹)など、短い通りながらも味わい深いお店がたくさんあり、ここを「銀座の最後の砦」と呼ぶ人もいるようです。

さらに、この通りには「金春小路」なる路地までありました!こちらがその入口。ブラタモリのおかげで、こういうところを見ると「通り抜けられるかどうか?」をすぐチェックするようになってしまいましたが、ここも行けそうです。





中に入ると、「樽平」というお店が。ここは有名なお店なので、聞いたことがありました。それにしてもこの写真、露出をかなり上げて撮っているので明るく見えますが、実際は昼間なのにとっても暗かった!まあ、それでこそ路地なんだと思いますが。





そして、これが反対側。うーん、こちらから見るとさらに渋いなあ。こんなところに行きつけのお店があると、銀座のツウ、って感じですねぇ。





金春通りに戻って8丁目のすぐ手前まで行くと、右側に「煉瓦遺構の碑」があります。これ、かなりひっそりと存在しているので、気をつけていないと見逃してしまうかも。





この煉瓦は旧金春屋の敷地内(銀座8丁目8番地)で発掘されたため、ゆかりの金春通りに記念碑として保存されることになったそうです。先ほど紹介した煉瓦街やガス灯についての説明も、ここから引用しました。





金春通りを出るとすぐ右側に、「銀座の柳二世」があります。銀座と柳は、切っても切れない関係にあることはご存知ですか?





銀座は埋立地なので地下水位が高く、柳とは相性がいいということで、明治17年には銀座の街路樹のほとんどが柳になりました。ところが、大正に入ってからは、車道の拡幅のために撤去され、さらに関東大震災によって完全に消失してしまいます。

その後、朝日新聞社などにより苗木が合計300本寄贈されたものの、今度は東京大空襲でほとんど焼失。昭和59年になって、金春通り会長・勝又康雄氏らにより「銀座の柳」復活活動が始まって、現在に至る…という、実に紆余曲折を経て今があるわけです。「二世」とか「三世」と言われているのは、消失した後に再び植えられたものをそう呼んでいるんですね。

これがその8丁目にある「柳二世」です。さまざまなことを経てもなお、銀座の人々に愛されてここにあるんですね。





というわけで、今回は普段見逃していたものを中心に、結構ディープな散策をしてみました。